最終更新日:2025年9月26日
色街写真家として多岐に渡って活躍している紅子さん。
彼女は元高級ソープ嬢であり、その経歴を隠すことなくYouTubeなどのメディアにも出演し、自身の経験や遊郭について語る「紅子の色街探訪記」は登録者数が45500人を超え、151万回再生を超える動画もある。(2025年8月)
最近では講演会で風俗嬢のセカンドキャリアを語ることもあるようだ。
そんな紅子さんだが「私の場合、カメラマンはセカンドキャリアっていうのかな…?」と謙遜気味に語ってくれた。
「私がカメラを始めたのが40代後半。風俗を完全に辞めたのが32歳のころなので、結構間が空いているんですよね。カメラマンになるまで、結婚して出産して離婚して、子供を育てるために事務のパートを10年以上していましたから」
幼少期から感じていた生きづらさと風俗への入り口

そもそも紅子さんが風俗を始めたきっかけは幼少期の“ある出来事” だった。
「道端に落ちているエロ本を拾ったんです。今でいう洋ピンなのかな。子供ながらに“男性が好むものだな” ということはわかって、こう直感で『この世界に入れば自分のようなものでも受け入れられる』と感じました」
当時まだ紅子さんは4歳だったが、すでに生きづらさを感じていたようだ。その生きづらさの中で「性に対する憧れと欲求だけが救いだった」と吐露した。
「中学生になったらキスされたり襲われたりするものだと思っていました(苦笑)。でも当たり前にそんなことは突然起きなくて、夜中に1人道を歩き続けたこともありました。道に寝ている人でも誰でもいいから誰かに触れてほしかったんだと思います」
保育園時代からいじめられ、小学校中学校と人間関係に悩み不登校気味だった紅子さんは高校も1学期で中退してしまった。
「それからは皿洗いのバイトをして貯金して、高卒認定のもらえる美術学校に入学しました。写真ではなく絵画や彫刻を学んでいました」
入学後も皿洗いのバイトを続けていたようだが、時間と課題に追われて風俗の仕事に飛び込んだ。
「当時はバブルで、若い女性は特に羽振りのいい暮らしをしていたのに、自分はなんで皿洗いなんかしているんだろうって思い始めたんです。そんな時に“日給1万円のフロアレディ” のバイトのチラシを見て面接に行ったら、ピンサロでした(笑)。いきなり店に行って店長に講習受けさせられて『下手くそ!』と怒られました。これが私の風俗デビューです」
怒られつつも「ここは自分の望んでいた場所なんだ」と紅子さんは胸を弾ませたが、そのピンサロは1週間で止めることとなる。
「まだ昭和の厳しさが残る店で、お客さんにも『下手くそ!』と怒られることも何回かありました。裸の世界にいけば私も受け入れられるという想いが崩れましたね…」
とはいえ専門学校に通いつつ満足に画材道具を揃え、課題に取り組む時間を確保するには風俗の仕事がぴったりだった。
「他の地域のピンサロ・デリヘル・今はなきホテトルなど転々としました。小学校からちゃんと学校に行っていないから本当に読み書きができなくて、皿洗いか裸の仕事しか当時の私にはなかった。でも働いてみてわかったのは、私の憧れていたのは、ロマンポルノや寺山修司の世界観であって現代の風俗店にはないということでした」
そんな葛藤を抱えながらも渋谷のピンサロで働いていた時にお客様から“吉原” の存在を教えてもらったと話す。
吉原で見つけた“居場所”とソープ嬢としての歳月

「吉原という名前は聞いたことがあったけど、何をするとかどこにあるとかは全く知らなかったんです。埼玉に住んでいたので、意外と家から通える距離だなぁっていうのが最初の印象でした。お客様は教えておきながら『本番行為があるし、吉原に行ったら人生終わりだ』っていうんです。でも私は、もうボロボロの人生だったからそれなら吉原に行って終わりにしたいって思ったんです」
吉原では今はなき格安素人専門店でソープ嬢としてデビューした。吉原に行って初めて「救われた」と紅子さんは感じたようだ。
「吉原の店は講習で服の脱がせ方からマットまで本当に丁寧に教えてくれました。講習が終わったらボーイさんが一列に並んで『おめでとう!やっと働けるね!』って笑顔で迎えてくれました。すごく優しくしてくれて『こんなにしてもらっていいの?』と思いました」
その後、専門学校を無事卒業し1度ソープの仕事から離れたが就職活動のやり方もわからず、また舞い戻ることになった。
「学校で特に就活の仕方とかを教えてくれず、本当にどうやって勤め先を見つければいいのかわからなかったんです。画材屋さんだけ受けたんですが落ちてしまい、タイミング良く在籍していたソープから『戻ってこない?』という連絡がきました」
紅子さんはその時に「吉原が自分の居場所だ」と思ったという。それから吉原と堀之内でソープ嬢として働いた。
「最後に働いたのは今もある高級店のピカソです。29歳から3年間。ずっとバイト感覚で働いていたけど、最後に風俗嬢としてきちんと全うしようと思いました」
お客様と対面する直前で「あんたはダメだ」と社長に言われ帰らされてしまったが、、翌日マネージャーから「最後チャンス」と連絡がきて無事高級ソープ嬢となった紅子さん。当時を振り返り「本当にきつかった」と苦笑した。
「指名10位以内じゃないと、新規のお客様を振ってもらえなくなって店に居づらくなっちゃうとか、1着10万円もするドレスを買ったのに社長に見せて『似合わない』と言われたら着ることもできなかったりとか。2日出勤して1日休みという決まりで、遅刻なんてもってのほか。お客さんが遅刻しても出入り禁止にしていましたから」
そして厳しい環境のなか働き続け、32歳の時に体力的にも精神的にも限界を迎えた紅子さんは引退を決意した。
「今は『40歳超えてないとだめ』なんて店もあるけど、当時はもう30歳を超えたら雇ってくれる店もあまりなかったんです。最初に勤めた格安ソープで、ボーイさんがあるキャストを指差して「あの子、36歳なんだって!ありえないよね!」と耳打ちされたこともありました。そういう時代だったんです。引退後、風俗で働いていることを隠しながら3年付き合っていた彼氏と結婚したんです」
お相手は映像クリエイター。ソープで働きながらも作品作りは定期的に行っていたようで、その展示会で出会ったそうだ。
引退後の結婚・離婚、そして“無”の時間

結婚後は、新居近くの友人が営むアダルトショップで働きだした。
「最初はバイブの拭き掃除のバイトとして使ってもらっていましたが、真面目に働いていたことを評価されて正式にスタッフとして雇っていただけました」
時給は900円。ソープ時代と比べると、だいぶ給料は下がってしまったが「ようやく一般社会で働けた」という喜びが優ったという。
「風俗で働いていたことを知らない人からすると『なんでアダルトショップなんかで働いてるの?』と言われることがあってショックでしたね。私としてはやっと“人に言える仕事につけた” と思っていたので」
なんとか必死で働いていたが、出産を機に仕事を辞めた紅子さんだったが、子供が1歳になった頃、仕事をどうするか考え始めると旦那から「他の人と結婚したい」と衝撃の告白をされる。
「びっくりですよね…。ゴタゴタしてすごく揉めました。調停までして慰謝料は多少はもらえましたが、元旦那は仕事を辞めたばかりだったこともあり『養育費は諦めた方がいい』と調停員に言われてしまいました」
子供と2人「無の状態だった」と話す紅子さん。
月に8万円ほど払い、子供を認可外保育園に入れて、カフェで働き出したがー。
「本当に私読み書きができなかったので、毎日書かなければいけない店のメニュー表は書けないし、オーダーも取れない。あまりの仕事の出来なさに『お前辞めろ』と10代の子に耳打ちされてしまいました…。子供がいるのに、仕事はない、家賃は高い、保育料も高い、絶望でしたね」
風俗時代の貯金を切り崩して生活し、事務の軽作業の職につくことになる。週6日出勤して、時給は870円だった。
「子供を育てなければ…と、とにかく必死でした。この会社には15年弱勤めました。でも、ふと残業して22時にコピーを何百枚も取りながら『このまま人生が終わってしまうのかな…』と急に思ったんですよね…。子供も中学生になって、自分の時間もできるようになってきたこともあって」
紅子さんは、会社帰りに高円寺や中野に立ち寄ってスマホで写真を撮りはじめた。
40代後半で出会ったカメラ 色街写真家としての再出発

「写真を撮るという誰もがやる行為ですが、私は表現としてInstagramに1日1回アップしようと決めました。これに『人生をかける!』と強い決意をして」
Instagramに「何で撮影していますか?」というコメントが増え、一眼レフを購入。YouTubeなどを見ながら「使いこなすのに半年かかりました」と苦笑する。
そして以前は“いかがわしい街” と思っていた吉原の写真を撮り、アップするだけではなく色々調べてみた紅子さん。
「吉原には遊廓という長い歴史があることを知りました。現役の頃は、吉原で働くことを「恥」「いかがわしい場所」としか見られなかった。 でも300年以上の歴史があり、今へとつながっている。 そしてそれは吉原だけでなく、全国各地に存在してきた。 過去を後悔しても時間は取り戻せない。 けれど、性風俗を「歴史」として伝えていくことはできるのではないか。そう思うのです。」
そして自らを「色街写真家」と名乗り、吉原をはじめとする色街を撮影し続けた。
半年で写真展のオファーが届き、1年後には事務の仕事をやめて生活できるようになったというからすごい。
「正直なところ、長いあいだ風俗で働いてきた私には、後悔しかありません。 その時間は私にとっては誰にも言えない、【無】の時間でした。 どうすれば陽の当たる場所で働けるのか、ずっと考え続けてきました。」
風俗で働いていたことなど周囲に言えるわけがなかった。
「私は自分がなぜ今、写真を撮っているのかを伝えるために、元風俗嬢である過去を明かしています。 遊廓・赤線の名残を訪ね歩き、写真に残すことで、私が働いていた場所がどのような場所だったのか、歴史を紐解きながら考えていきたいと思ったんです。」

セカンドキャリアに悩む現役風俗嬢に紅子さんはこう語る。
「子どもが産まれましたが離婚し、わずかな貯金しかなくそこから読み書きの勉強をし、なんとか事務の仕事に就くことができました。そこでPCの使い方を覚えたことが、今につながっているのだと思います。 学校では何ひとつ理解できなかった私ですが、ネットが普及したことで独学でも学べるようになり、本当に今の時代に感謝しています。カメラの使い方や動画の編集方法も、すべてネットの動画から覚えました。 人生は、何がどう結びつくかわかりません。価値観は、自分のいる場所で変わっていくものだと思います。先の見えない不安の中にいる方へ――私の経験が、少しでも役に立てば幸いです。」
40代後半でカメラを持って、個展を開き、写真集を出した紅子さん。人生をかける仕事に巡り合うまで時間はかかったというが「無駄なことなんて一つもない」と微笑んでいた。
X:https://x.com/benicoirmachi
litlink:https://lit.link/benikoiromachi
1972年生まれ。色街写真家、元吉原ソープ嬢。10代で風俗嬢となり、関東各地の風俗街を13年以上転籍。48歳から独学で写真を学び、 風俗街、赤線、遊廓跡地などを訪れ、日本各地に残る色街の風景を記録している。
2021年よりYouTubeチャンネル「紅子の色街探訪記」を配信。写真展やトークライブなど活動を展開。 2023年12月には写真集「紅子の色街探訪記」を出版。クラウドファンディングにて820万円を達成し、写真集第2弾を2025年5月にカストリ出版より刊行
◾️写真集「紅子の色街探訪記」 吉原カストリ書房およびAmazonにて販売中。 https://kastoripub.stores.jp/items/65584144f0a6af0039ee3626
こちらもcheck!
〇インタビューシリーズ:第4回 風俗講師 NOZOMIさん
〇インタビューシリーズ:第3回 元風俗嬢 樹里さん(31歳・仮名)