「ずっと母親に苦しめられてきました」
東京都在住の井納マキさん(32歳・仮名)は、神妙な面持ちで自身の半生を語り出す。彼女の母はいわゆる“毒親” だった。
「母が留学中でアメリカで知り合ったのがアメリカ人の父。嫁姑問題があって、幼少期は日本とアメリカを行ったりきたりの変な生活でした」
3歳まで母親の実家で育ち、シングルマザーだと思っていたようだが「4歳でいきなりパパと暮らす」とアメリカに引っ越したようだ。
「パパなんていたんだ?!しかもアメリカに住んでいるって、ただただ聞いてビックリしました」
だが、喜びよりも何よりもマキさんを襲ったのは“言葉の壁” だった。
幼少期から始まった母の支配

「英会話なんて何もやっていないから、英語が一切話せない。4歳だからもう結構普通に話せていたし、記憶もあったから、髪の色も目の色も違う一言も話せる人がいない海外の保育園に入れられた時の恐怖は今でも忘れられません…」
毎日泣き喚きながら登園し、幼いながらも「話せなければ生きていけない」と思ったそうで「1年くらいで、ある程度の英語を取得しました」と話す。
「言葉の壁を乗り越えて、もうこのままアメリカで暮らすんだろうなと思っていましたが、小学校に上がる前に離婚して、結局日本に帰国することになりました」
母親の暴言などのモラハラにより父親はうつ病に。詳細な離婚原因が何かはわからないそうだが「母と一緒にいたら鬱になってしまうのはすごく理解できます」とマキさんは苦笑する。
「小さい頃はわからなかったけど、物心ついてからの母の束縛と偏見は相当なものです。例えば、服装に関してなんですが、髪を伸ばすのもスカートを履くの禁止でした。『そんな格好するのは親が水商売か売女だけだ。ありえない』と。だから幼少期の写真を見ても、常にショートカットでTシャツに短パンなので男の子にしか見えません」
小学校時代は母親がOKした子とのみ遊ぶことが許され、複数人で遊ぶ際もメンバーを全て把握。「誰か1人でも母のNGの子がいると行けませんでした」と当時を振り返る。
「母は常に『友達は選ばなくてはダメ』と言っていました。自分も片親なのに『片親の子と仲良くするな!』とか『あの子の母親は授業参観の時に変な格好をしていたから付き合うな』とか。門限も中学校で17時、高校で18時。スマホは与えてくれましたが『何をしているか?』のLINEに返事をしなければ鬼電。門限を守らなければ、結局友人やその子の親に連絡をするので、それが恥ずかしくて守るしかなかった。軍隊みたいな感じですね」
学校以外は常に監視され、母親から発せられる言葉はマキさんの自己肯定感が下げるものばかりだった。
自己肯定感を奪う束縛と暴言

「もうね、基本は悪口(苦笑)。『海外の血が入っているのに顔が悪い』『なんでこんな馬鹿な学校にしか入れないんだ!』『愚図だからバイトもできるわけがない』とか…。母から褒められたことなんて1度もありません」
大学に入ってからは、さすがに母親が友人関係を管理することも難しく、少しは自由になったそうだが、より「他の家庭とは違うな」と感じる場面が多かったようだ。
「友人は母親と恋愛話をしたり、一緒に買い物や旅行に行っていました。我が家はそんなことは一切ないので、驚きました。女は酒もタバコもやらない、結婚相手しか性行為をしない、それが“普通” だと育てられてきました。ミニスカートやタイトな服を着るときは最寄駅のトイレで着替えて、ヘビースモーカーなんですが、家では吸わず、タバコはタオルに包んでバックの奥底に隠してます。母には下戸だと思われているけど、本当は酒豪。本当の自分と母親の望む自分の2人を演じていました」
就職してからも束縛は変わらず、一人暮らしはもちろんのこと、給料を自ら管理することも許されなかった。
「給料は全て母親が管理して、毎月お小遣いが3万円。子供がいてマイホームのローンを払っているサラリーマンですよね…。貯金しているって言ってたけど、そんな未来の安定よりも、今の“自由” が欲しかった。どうしても欲しいものがある時や旅行に行く際は母にプレゼンして採用されれば追加でもらっていましたが、貯金なんかなくても好き勝手に給料を使える友人が羨ましかったです」
母親のことは何回も周りに相談したが、誰も取り合ってくれなかった。その理由をマキさんはこう分析する。
「衣食住を与えてくれているし、母親は女1人で大学まで卒業させたので『立派な母親』『お母さんのためにしっかりしなさい』などと言われ、みんな母の味方で話になりません。何を言っても母の暴言や異常行動に目を向けてもらえませんでした。もっとわかりやすい毒親なら周りも親身になってくれるし、シェルターに入るとかできた。早い段階で大人が話を聞いてくれた。だからある意味そういう毒親の子は抜け出す術があって羨ましかった…」
マキさんは物心ついてからずっと「生きながら死んでいる状態でした」と話す。母親の影響か、結婚や出産にも意欲はないどころか、恋愛にも興味がない。何かをする時は必ず「お母さんがどういうかな…」と自分の意思など二の次だった。だが、時間が経つにつれて、気持ちに変化があったそうだ。
「30歳になった時に『私このまま死ぬのかな』って漠然と怖くなったんです。母はおそらく私に結婚をさせず家にいて、自分の介護して欲しいんだと思うんです。被害妄想かもしれないけど、私の幸せより自分の思い通りに自分の都合がいいままそばにいさせたい、みたいな。あぁこれ母親が死んだら私ってどうなるんだろうって不安になったんですよ」
“母から離れなければ”
マキさんは副業をして貯金をすることを考えた。それは一人暮らしをするためだ。
風俗で得た自由と、人生のリスタート

「友人のうちに泊まりに行くことさえ難しいので、飲み屋さんは無理。家でできる副業だと、結局母に収入を取られてしまう可能性もある。会社が休みの日に朝から夜まで働けて、割がいい仕事…と探したら風俗が頭に浮かびました」
今年で32歳のマキさんは世代的に、学生時代に大人アリのパパ活をする友人や、オープンに働く風俗嬢も少なくはなく「業種に抵抗はありませんでした」という。
「処女ではなかったし、確かに生理的に無理なお客様もいますが、そんなことよりも“お金を貯めたら1人で暮らせる” というワクワクが勝ちました。そして自己肯定感が低いから、別にお茶を引いても指名が少なくても落ち込まないんですよね。『自分なんか選ばれなくて当然』というのが根底にあるので。ある意味そこは母に感謝かな」
会社員と並行して、デリヘルに週2回出勤して半年で100万円と少し貯金し、母親にバレないように1人暮らしをはじめた。
「都内の駅徒歩10分の1DKで家賃は11万円。やっと私のお城ができて、30歳過ぎていますがやっと、やっと人生がスタートしました」
引っ越しと同時に会社を辞めて、今は風俗で働きながらも「就職活動中です」という。
「家を借りるにあたって、会社員の方が有利だから辞職する前に引っ越しました。あ、あとクレジットカードも複数作りました、一応(笑)。家を借りて少しずつ家具を揃え、実家から必要なものだけ移しました」
新居が整ったのを機に、マキさんは長く勤めた会社を辞め「1人暮らしをします」という置き手紙と10万円と鍵をおいて実家を出た。
「会社には不満も特になかったけど、母親が知っているので凸される恐怖があったので『なら転職しよっかな!』って。1人で生きれることを決めてから、つきものが落ちたかのように体が軽くなった。別に正社員でなくてもいいし、毎月決まった額を稼がないでもいいし、貯金をしてもしなくてもいい。すっごく楽になりました」
今はマキさんにとって、今までやれなかったことをやる「充電期間」なんだとか。
「店には多くて週3回出勤しつつ、朝まで時間を気にせずお酒を飲んだり、1日中ダラダラしたり、映画を見に行ったり。風俗の仕事は可もなければ不可でもないというか。救ってもらった感はあるけど、向いているとは思えません。いずれ就職するつもりなので、やりたいことを探すため自分と対峙しています」
ずっと抑制された暮らしの中で死にながら生きていたマキさんは、人生のリスタートを切ったばかりだ。
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